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ボディシェイミングと他人のことに構わないことについての暴言


今日のニュースレターでは、少し愚痴を吐き出したいと思います。月曜日に友人とオリーブガーデンにランチに行きました。たまたま「CrossFit for the cure(治癒のためのクロスフィット)」と書かれたTシャツを着ていたんです。数年前、 脊髄性筋萎縮症(SMA)のための募金活動に参加した時に手に入れたものです。募金活動を企画したのは、熱心なクロスフィット会員で、ジム(クロスフィットの人たちは「ボックス」と呼ぶ)で募金活動を行いました。私はそのイベントから、先ほどのTシャツを持って帰りました。

月曜日の話に戻りますが、ロビーを通り抜けて店を出ようとしていた時、何人かがテーブルを待っているところに、どこからともなく年配の男性が「おい、君はクロスフィットやってないだろ!」と声をかけてきました。間が空きました。この頼まれもしない発言に、私はすぐに侮辱されたと感じました。もちろん彼の言うことは正しかったのですが、この発言はまるで、太った見知らぬ人に突然「おい、太ってるだろ」と言われたようなものでした。

しかし、紳士である私は反撃せず、むしろ彼に自分の発言についてよく考えさせようとしました。会話と呼べるかどうかはともかく、その会話は次のようなものでした。

  1. クロスフィットの人: 「おい、君はクロスフィットをやってないだろ」
  2. 私: 「どうして知っているんですか?」
  3. *気まずい沈黙*
  4. 私: 「54歳にしては、かなり良い体調だと思います。」
  5. *気まずい沈黙*
  6. 私: 「私はクロスフィットには参加していませんが、クロスフィットと似たプログラムで毎日トレーニングしています。もちろん、自分でも他の方法でトレーニングしています。」
  7. *気まずい沈黙*
  8. 私: 「ふぅ」

それから私は出て行きました。クロスフィット氏はそれ以上何も言わず、ただそこに立ってニヤニヤと笑っていました。まるで「私が正しいのは分かっているでしょう?」とでも言いたげでした。確かに彼は正しかったのですが、だからといってすべての真実を言うべきだというわけではありません。

ここまでくれば、クロスフィットの信奉者のほとんど、リーダーのグレッグ・グラスマン氏をはじめとする、傲慢で批判的だと決めつけることもできるでしょう。しかし、私はそうしません。クロスフィットに関わっているかどうかに関わらず、健康を維持するために努力するすべての人を私は称賛します。クロスフィットは非常に激しい運動で、それについていけるのはエリートレベルの強者だけだと断言します。しかし、強いアスリートの多くはクロスフィットに関わっていません。彼らのプログラムに宗教的なほど傾倒するような態度は、私には合いません。

私の意見では、大切なのはどんな方法でも運動することです。肝心なのは、心拍数を上げ、筋肉量を増やすような運動をすることです。私のフォーラムでは減量の話が時々出てきて、いつも具体的なアドバイスが沢山寄せられます。体重を減らして体型を整えたいなら、私のアドバイスはとてもシンプルです。運動量を増やし、食べる量を減らすことです。本当にシンプルです。「どうやって運動すればいいの?」と疑問に思うかもしれません。何でも楽しいと思うことをやってください。もしそれが好きじゃなかったら、きっと簡単に言い訳を見つけてやらないでしょう。

最後に、自分とレベルが違う人を非難するのではなく、互いに自己啓発を奨励し合えば、世界はもっと良い場所になると思います。特にギャンブルを推奨するニュースレターで聖書を引用することはあまりありませんが、今回は適切だと思いました。

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないために。あなたがたが人を裁くその裁きで、あなたがたも裁かれ、あなたがたが量るその量りで、あなたがたにも量り返されるであろう。」なぜあなたは兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁に気づかないのですか。また、どうして兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取らせてください』と言えるのですか。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者め!まず自分の目から梁を取り除け。そうすれば、兄弟の目にあるちりを取り除けるようになるでしょう。」――マタイによる福音書 7:1-5。